「墨」という名は「染み」からなまり伝えられたものといわれ、墨は永年に渡り消えることなく、虫に喰われることもなく残り続ける素晴らしい筆記具。
奈良墨は大同元年(806年)、空海が唐から筆とともに墨の製法を持ち帰り、興福寺二諦坊で持仏堂の天井にたまった煤を集め、膠を混ぜて造られたのが始まりとされており、今なお奈良墨が全国生産量の90%以上を占めている。
奈良市に墨造り一筋、昔ながらの製法を守り続けている安土桃山時代にのれんを掲げた「古梅園」がある。
全国でも「煤採り」から墨を製造しているのは古梅園だけ。まさに唯一無二の存在だ。
「煤採り」から始まる墨造りは、イグサをよった灯心に純植物性油を浸したものに火を灯し、それを土器で覆い、土器についた煤煙を採取する。
煤のつき方が偏らないように、200個もある全ての土器を20分ごとに角度を変え、蓋の裏についた煤を鶏の羽根でかき集める…。
気の遠くなるような作業を8時間休みなく繰り返しても、採取できる量は1kgにも満たない。
採煙室の外壁は、煤の微粒子で白壁が煤で真っ黒に変色。
中に入ると無数の炎の熱気に加え、幻想的で神聖な印象を受けた。
墨は煤と膠、香料を加えて製造されるわけだが、牛など動物の骨や皮を原料とした「膠(にかわ)」を2重釜に入れ、長時間湯煎を行い、膠の溶液が作られる。
墨造りは、この膠が腐らないように秋から春までの気温が低い期間しか行うことができないわけだが、ということは…と鼻を突くような臭いを覚悟していたが、驚くほどに臭いはなく、精製され、不純物が極めて少ない上質の膠ならではの透明感と伸びを目の当たりにした。
「うちは上質の膠を使っている」と従業員の方が口を揃えておっしゃるのもうなづける。
こうして準備が整えられた煤と膠に心が安らぐ香料(じゃ香/梅香など)を加えた後が「墨匠」の出番。
遂に墨の運命を握る「練り」の工程が始まる。
モチ状の生墨を墨玉が光沢を放つまで足でまんべんなくねりこみ、さらに仕上げを手で練り上げる。
「練り」は墨の良し悪しを大きく左右する。
木型に入れる直前、墨玉は墨匠の手の中で円柱形の状態に仕上げられるわけだが、練り転がす回転が僅かに狂えば、乾燥後の墨に反りや割れが生じてしまう。
「練りを止める瞬間は、墨玉が教えてくれる」というから驚きだ。
熟練した職人ならではの研ぎ澄まされた神経が、狂いのない瞬間を見極めている。
墨の重量単位は、「丁」。(1丁=15g)
水分が乾燥していくことを計算の上、1丁=約22.5gを型に入れる。
僅かな差は、気温湿度が計算された職人の勘。
墨匠の勘に狂いはない。
型入れを完了した生墨は、梨の木で作られた木型に入れられ、万力で固定される。
木型から取り出した墨は "ようかん" のように柔らかい。
この墨が「灰乾燥」に回され、ここで灰乾燥職人の出番となる。
木型から取り出した墨は、灰乾燥の部屋の周囲にぐるりと並べられた木箱の灰に埋められながらゆっくりと乾燥させていく。
乾燥第1日目は水分の多い木灰に埋め、2日目以降は除々に水分の少ない木灰に埋めかえていく。
この灰乾燥は小形の墨で1週間、大形の墨で30日〜40日程度続けられる。
灰乾燥を終えた墨は、約7割の水分が除かれ、さらにその後墨を藁で編み、天井から吊して室内で自然乾燥をさせる。
乾燥期間は、普通約半月〜3ヶ月を要し、自然乾燥を終えた墨は、表面に附着している灰やその他のものを1丁づつ丁寧に水で洗いおとし、その後秘伝の上薬を塗布して表面に化粧を施す。
商品によっては、さらに墨の表面を炭火で焙り、表面を柔らかくし、蛤(はまぐり)の貝殻で光沢が出るまで磨き上げていく。全てが手間の仕事だ。